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Menaryのmaiです。
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私が好きな言葉で「足るを知る」という日本語があります。
これは「身分相応に満足することを知る」という意味で老子が言ったとされており、昔から日本で伝わっている言葉です。
昔の日本は、今のように「あえて」言われなくても自然と「持続可能な社会」を人々が築いていました。
きっとそれは、当時の日本で暮らす人々には、「足るを知る」精神がしっかり根付いていたからだとおもうのです。
さて、すっかり「持続不可能な社会」となった昨今ですが、皆さんご存じの通り、世界では2030年までに持続可能な社会を目指すために17の目標が掲げられています(詳しくはこちらを参照ください)。
私は、その目標を達成する鍵は、「足るを知る」大切さを知っていた昔の日本の生活を見直すことにある、と感じています。
そのポイントが2つあります。
「リサイクル」「リユース」という感覚が当たり前にあった
昔の日本人は、徹底して「リサイクル」や「リユース」を行っていました。
資源などが貧しかった影響もありますが、その徹底ぶりは見事なもの。
分かりやすいのが、着物の扱いです。
一般市民の場合、新しい着物は基本的に古着屋で購入していました。
それを何度も何度も仕立て直し、世代間で引き継いでいました。
いよいよ着られないほど使い古された後でも、「捨てる」という感覚はありませんので、その後はおむつや雑巾として使われるように。
そして最後は、かまどの炊き付けに利用されていたのです。
さらに、その時に出た灰は専門業者に回収されて、そこでまた活用されていたというのですから、驚くほどに無駄がないのです。
これはあくまで着物の例ですが、おそらく何においても、徹底して「リサイクル」「リユース」を行っていたことでしょう。
そうなると当然、ゴミの量も少なくなりますよね。
江戸時代に訪れた外国人が日本の清潔さに驚いた、という話はあまりにも有名ですが、それにはこういった背景があったわけです。
思いやる気持ちが自然と育まれていた
昔の日本は、地域内のつながりやコミュニケーションが濃厚でした。
面倒なことも多かったかもしれませんが、そういった環境だと「自分さえよければいい」という気持ちにはなりづらく、自然と他人を思いやる気持ちが育まれます。
持続可能な社会を実現するために大事なことは、単純に「思いやる気持ち」一つなのではないかと、私は思うことがあります。
極端に言えば、私たちの社会が持続不可能なものになってしまったのは、
「プラスチックを使って海が汚れても関係ない」
「労働搾取の問題が起きていても、安ければ問題ない」
というような、「自分さえよければいい」というエゴイスティックな考えがはびこってしまったからではないでしょうか。
戦後バブルの時代を経て、大量生産/大量消費や使い捨ての感覚が当たり前になり、行き過ぎた競争社会によって思いやりの気持ちも薄れていった今の日本。
本当に2030年までに、持続可能な社会を築けるのか疑問に思っている人も多いはずです。
でもその突破口は、私たち日本人のルーツを見直すことで必ず見えてくると私は思っています。
それでは、今日はここまでにしますね。
また次回お会いしましょう!
Thank you for reading and have a good day.
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