先日、あるカフェに行きました。
オープン間もなくて、場所も街中ではないため、私が最初の客でした。
でね、入り口に今ではお馴染みの、大きなボトルの消毒液があるわけです。
私は基本、つけないです。自分専用の除菌ウェットティッシュを持参しているので、それで拭きます。お店などに置いてあるものは、殺菌作用も強く、必要な菌まで殺してしまう方が不自然・不健康だと思っているので使いたくないのです。
すると店内に入った瞬間に、後ろからスタッフが走って来て「消毒液、つけられましたか!」と。私は(まじか)と。苦笑。そんなにいちいち管理されているの、私たち!?と思うと正直怖くなりました。
そのカフェはウェブサイトなどを見るととても素敵で、薪窯で焼くピザもあったので楽しみにしてきたのです。こんなことでふいにしてはもったいない、と気持ちを切り替えて説明しました。
「私は自分の除菌シートがあるので、何なら今あなたの目の前で拭くのでいいですか。こういうのは(ボトルを指して)肌に刺激が強いので(すんませんねーテヘ)」と。
言いながら、あほみたい、と思いましたよ。苦笑。なんでそんな信頼もされてない店に、下手に出てるのだ私、と。
でも逆らうのは抵抗のエネルギーで、自分がしんどいからね。それにもちろん、こういうご時世だから柔軟に対応しますよ、だから普段しない消毒をするわけです。
ですが、そのスタッフは「でも皆さんこれでお願いしてるので」と、目も合わせずに。
その後、席に着きましたが、心なしかシェフもウェイトスタッフも皆さん、心を失った亡霊に見えて、そわそわしてもやもやして、すぐ店を後にしました。
もちろん、私にはそう見えた、だけです。
ですが、(なんかおかしくない?)っていう感覚、大切にしていいと思います。
「皆さんこれでお願いしているので」。出たーって思いましたね。これ、日本人の接客業している人、大好きね。たいてい逃げられますから。
私は内心、「だから何?」ですよね。「皆さん」がそうなのは、「皆さん」がそれでいいって思っているからでしょう。
こういう客、面倒くさいって思いますか。でも、これから私たち変わっていかなきゃいけない時代だと思うのです。もっとこう、心を開くという意味で。
海外に長く住んだ人が、「海外ではもっとこうで」とか言って比べるの、私も好きじゃないです。それに日本にも数え切れないくらい素晴らしいところがあります。でもいいところは学びたい、そう思いませんか。
そういう前提のもと、海外ではこういう客、めちゃくちゃ多いです。苦笑。面倒くさいですよね、確かに。
私はオーストラリアで客側も、接客側(カフェのバリスタとして何年も勤務)も経験があります。忙しいときや、言い方によっては嫌悪感があります(あ、これは接客をする立場で)。でも、これくらいちゃんと本音を伝えてくれると、逆に人と人としてのやり取りがしやすい、というのもあります。
そういう血の通った会話の中で、不自然なことはどんどん調和され、お互いが納得できるポイントに落ち着く、ようなことがよくあるのですよ。そして結果、打ち解けて仲良くなる。
やはり不自然なものは、不自然だと。私はこう思っているので、こうしたいと。言っていいんじゃないかな、と思いますがどうでしょう。
それは、刺激の強い消毒液を意地でも使わないため、ではないんです。自分の本心を表現するためです。自分に一致するってそういう些細な感覚を逃さず、ちゃんと表してあげるってことだと思っているので。
そしてね、この話のもうひとつのポイントは接客側にもある。目的は、その店が置いているメーカー(ブランド)の消毒液を使うこと、じゃないですよね。感染力が強いとされるコロナ感染を拡大しないために、できることとして「店に入るときに消毒しましょう」ってことでしょう。
その目的をはき違えている人が本当に多いなって感じています。
例えば自粛警官もマスク警官も、多過ぎる!人のこと気にする暇があれば、自分の面倒をもっと見ようぜって思う。ま、逆説的ですが、自分のことができてないから、人のことが気になるんですよね。
私のように感じている人と、逆の立場で感じている人と、この二極化も今すごく分かれてきていますね。
どっちがいい悪いじゃないとはいえ、どっちが心地いいか、どちらの世界が生きやすいか、をちゃんと考えたいと私自身も思います。
外で何が起きていようとも、自分に一致することを諦めない、面倒くさがらない。そして戦いではなく、それを調和のためにする。私ができることは、やっぱりそこに尽きる!と改めて痛感するできごとでした。
で、次は「ポピドンヨード」ですか!笑。もう完売、ネット転売ですか。世間は賑わってますね。
吉村知事は比較的、正直に話してくれる印象なので、この情報の信ぴょう性や根拠を待ちたいと思います。
彼まで、コロナでおかしく…なってない、ですよね!
文:mia
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