自分に「ok」を出そう!証明して認められる生き方ではもう満たされない時代かも

miacoramu

 
私たちは、あまりに周りを気にして生きてきたのかもしれません。
私個人的には、人に何か言われてもあまり気にしないタイプです。「そもそも周りの人が私の人生の責任を取ってくれるわけではないし、自分のケツは自分で拭くもーん」と覚悟して生きてきました。
それでも最近自分に向き合う中で、細かい言動にチェックを入れてみると何かを選び、決める基準が「思いっきり外向き」なものがまだあることに気付き、愕然としてしまいます。
外向き、というのは例えばこういうものです。
「AとBなら、Bの方が生産性もあるし」「こうする方が周りも納得するから」「こっちの方が今までの人生からの筋も通るし」「こうした方が後々役にも立ちそうだし」などなど…。
…思い当たること、ありませんか。
私たちは何かを決めるとき、「自分のために」選んでいるようで、実は他人のため(それは身近な人も含め)に選んでいるということが多々あります。
結局、周りから認められたいというような。この場合「周り」とは身近な家族や友達のみならず、あわよくば世間をも説得できるような人生を生きたい、と。
その外向きさが、いかに不自然かということに気付くと、そこから発せられる言葉ももう出せなくなります。
だって今はこう思います、「えーっと、それって楽しいですか⁉ 」。苦笑。
とても窮屈で制限に満ち満ちて、全く自分ではなくて、誰の人生を生きてるのって感じに見えますね。
私ね、今自分と向き合う中で本当に痛感しています。
人が評価してくれなくてもいい、納得してくれなくてもいい。人に証明したり説得したり、そういう生き方にももううんざりだ、と。
これは私が最強に幸せになるために選んだ人生だから、「ok、マル」!
そう大切なのは、自分で自分に「ok」を出すことではないでしょうか。というか、自分が思い付くアイデアは本来の自分自身の声なので、もう絶対的に「ok」なのですよ。
けれど私たちはつい、今までとは違うことだから、何の役にも立ちそうにないから、今の状況では経済的(物理的)に無理だから、などとまるであたかも「できなくて仕方ない」かのごとく理由を付けて、行動しないことを正当化したりします。
本当はうっすらでも気付いているのに、です。
お金や時間や自由がたっぷりあって、うるさく口を挟む人が周りにいなければ、本当は何がしたいのかを考えてみるといいです。
今までと違ってもいいんですよ、だって過去と「今」は本来繋がっていないのですから。周りが反対したっていいんですよ、だって彼らがあなたが失敗したときに責任を取ってくれるわけではないのですから。
生産性なんて考えなくっていいんですよ、だってあなたが心からやりたいことに夢中になって生み出した何かは、いや例え何も生みださなく見えたとしても、心を込めて生きる一瞬一瞬のあなたの存在だけで周りを照らしたり、人の心を動かしているかもしれないのですから…。
あと、「私、今までこういう経験をしてきて、こういう資格も持っていて、だからこういうことができるんです。こんなこともあんなこともできるんですよ」とかね。そういう、誰かに対して証明するような生き方ももう卒業かな、と思います。
私はもうね、真っさらで生きたい気分なんです。
確かにさまざまな経験をしてきました、でも今それらが、どんどん薄れていっているというか、今までの過去が薄いベールに覆われているような感じがするのです。
なにも今までの経験が無駄だと言う気はないし、何ならここまで連れて来てくれた過去の私自身を誇りにも思っています。
でもそれはそれ、これはこれ、という感じなのです。不思議なくらい。苦笑。
それだけ多分私は「今」に、そして「私自身」に向き合えているのかなと思うし、そのような状態で浮かぶアイデアは繋がった本来の自分からのサインであり、答えだと信じています。
そして、それを実行に移してそこから見えてくる世界と、その深い広がり。それこそが自分を本当の意味で満たし、豊かにしてくれるように思えるのです。
人が認めてくれるまで待ったり、認めてくれる解決策を考えたり、そういうことからはスッキリ卒業します。自分を認めるのはまず自分からなんだってことを、再確認しているからです。
だから今まで以上に、私に「ok」を出して、どんどん進んで行くんだって決めました。
あなたはどう生きたいですか。
文:mia

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